「魔の森」




僕はそこへ向かって歩く。

この街では…この周辺の住民なら誰でも知っているその場所へ。

僕らの仲間内ではどこかのゲームみたいに「魔の森」なんて呼ばれていた。

でも、別段誇張した言い方でもなかったと今は思う。

光を追い出し、闇を内包し、内から閉ざしたような世界。

人間が恐れる物に対して使われる「魔」という言葉の響きにこの森は不自然さを感じさせない。

この森には色々な噂があった。

曰く、この森の最深層に辿り着いた者はいない。在たとしても帰ってきたことは無い。

曰く、自殺志願者が多くやってくるその道では有名な森で、森には多くの未練、憎しみを持った霊魂が彷徨っている。

曰く、その森の深層を目指そうとする物は何かに憑かれている。

実に様々だ。僕が知っているだけでもまだまだある。

他にも僕が知らない、あるいはこの街以外の独自の噂、言い伝えがあるんだろう。調べていたらキリが無い。

ただ、深層を目指している僕は憑かれているのだろうか?という冗談はあんまり笑えなかった。

ここへ向かう事は誰にも言ってはいない。

言うような大切な人間もいなかったし、それ以前にそれほど大事だと考えていなかったからだ。

そう。僕にしてみたら散歩気分でここに来たのだ。目的は散歩ではなくてでもだ。

故に服装は軽装そのもの。夏だという事で半袖なくらいだ。

一応虫を気にしてスプレーはしてきたけれど…どうもこの臭いは好きになれない。

鼻に右腕を近づけてそう思う。人間が嫌がるくらいじゃないと虫が避けないというならば仕方ない気もするけれど。

腕を上げたついでに時刻を確認する。液晶のバックライトを点けて見ると家を出てから随分経っていた。

家から森の入り口までは一時間くらい。だとすると森の中をもうかれこれ二時間は歩いていることになる。

気が付けば月は雲に隠れていた。

腕時計のバックライトが消える。

黒い、世界。

背筋が震える。そんなこと関係ないと解っていても半袖は失敗だったかなと疑問が浮かぶ。

歩みは止めなかった…いや、止められなかった。

ありきたりかもしれないけど今ココで止まったら蹲って二度と動けない気がしたからだ。

ふと、気付く。森の道が比較的歩きやすくなってきているみたいだ。

いつだったか聞いたことがある。巨大な木が生育するようになった森では背丈の低い植物は衰退し、

代わりにコケなどの比較的日光の少ない場所でも生息していける物が繁栄するのだと。

滑らないように注意さえすれば、今まで進行を妨げてきた茂みの様な植物に煩わせられなくて済む分楽だ。

何せ痛い思いをしなくて済む。露出してる部分の引っかき傷が酷いんだ。

聞けば歩く音もガサガサッというモノからやや粘着的なヂャヂャという音に変わっている。

しかし…足場がぬかるんできた所為か足への負担が増えた。痛みの代わりに疲労か…プラマイゼロじゃ意味無いよ……。

唯でさえ三時間近く歩いている身。足が重い。

それに今まで気付かなかったけどこの森は平坦じゃない。角度的には微妙だけど登りになっている。

そういう考えが頭を支配するほど歩みが遅くなる。疲労を伴ってか足への感覚が徐々に削がれていく。

しばらく歩くことに専念していた故に歩みへの意識の遠ざかりは他の神経を鋭敏にしていく。

聴覚、視覚、触覚。

僅かな音にも反応し、目は闇に慣れてきてる。

でも、

進むにつれ音は無くなっていくのに静寂はどんどん遠ざかる。

歩くにつれ光は無くなっていくのに暗闇はどんどん遠ざかる。

進行感覚も曖昧だ…。

自分が向かっているのか、その場所へ引き寄せられてるのか…。

感覚は鋭くなっていく一方なのに

何も聞こえず、何も見えない。

あらゆる感情よりも「解らない」という言葉が頭を埋め尽くしていく。

足元を見てみる。

歩いていない。

そうして自分が何処に立ち止まっているのかに気付いてしまう。

ココがどんな場所なのかをも染み込むように解ってしまったんだ。

「そっか…ある意味辿り着いてたんだ」

ココには何もない。

なのに僕はココに、何もないココに何かを求めてやってきている。

矛盾だ。根本的に間違っている事象。

そこで問われる内なる疑問。

『じゃあ、僕は何でココにいるんだ?』

そうだ、ボクにはココに居る意味が無いじゃないか。

…その考えは一番の恐怖となる。でも、思ったことは頭に住み着いて出て行かない。

つまり、存在の否定。居るべきではない場所に居るとどうなるのかということ。

居るべきでは無い者が居るとドウなるのかということ。

無音の重圧。虚無の指す意味。

結論は簡単。

そこに何もないからこそココであるのであって

自分の様な異物があればそこはココデハナクナル。

とすればココはココである為に

そこに為らんとするが為に

『ボクを否定する』



気が付けば走っていた。

帰り道なんか問題じゃなかった。

障害物なんてどうでも良かった。

視覚的に何も捉えられない状況でこれだけの速度を出せば非常に危険なのは脳では解ってる。

事実、先程から何度も体を木にぶつけ、足を枝で引っかかれてる。現在こけそうだ。

体勢の崩れた状況を躓いた右の代わりに左で踏ん張り回復する。

例えもし、転んだとしても立てばいいだけの話。それだけのこと。問題じゃない。

歩いてきた道だ。走れば半分で戻れるはず。

とにかく今は走ろう。他に何をすることもないんだから。

やがて見えてくる光。

電灯とも火とも違う。絶対的な自然物の光。

雲に覆われていた月が顔を出し、僕を柔らかく包む光を放っている。

走るのを止める。まだ、森の中。出口まではあといくらかはかかるのは解ってる。

止まってからようやく自分の信じられないほど荒い呼吸や体のあちこちの痛みを感知する。

ようやく神経が通った感じだ。息を整え、夏だというのにとても冷たい空気を喉の奥に流し込んでいく。

月を見上げる。満月ではないけれど……微妙に楕円のその月が酷く美しく見える。

完全ではない故に今夜は美しく見えるんだろう。満月だったら見向きもしなかった。

平素呟いたら思わず笑ってしまう詩人的な思考も今は当たり前に感じられる。

多分、僕は二度とあの場所には近づかないと思う。

だけど…もしかしたらあの場所に求める物を見つけてしまったら

探しに行くのかもしれない。

ただ、今夜は…自分の居場所に、在るべき場所に……

僕はそこに向かって歩いていく。





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