回遊魚


このお話は『理屈じゃない』の杏視点です。

出来れば『理屈』を読んで頂いた方が話の分かりがよいかと思います。

……はい、私の力不足です。


 

 

 

 

 

「はぁ……私、何やってんだろ」

公園の茂みの中、ため息と一緒に吐き出す。

数えるのも空しくなるくらいにさっきから繰り返し呟いている。

椋と私の入れ替わりによる代理デートの決行日。

私は緑の中に座り込んでいた。

下らない考えだと分かっていたけれども、今の自分の気持ちに整理をつけるにはこれぐらいしか浮かばずに椋と朋也の2人を騙す形で実現させてしまった今日という日。

(ほんと、2人には迷惑かけっぱなしよね……)

「でも、ここまで来たからには、ね」

そう、もう後には引けないのだった。

軽く拳を握る。

今日という機会を使って少しでも前に進みたい。

それにここで、もし私が「待った?」などと軽い気持ちで出て行ってしまったら、家で椋にどんな顔して会えばいいのかわからない。

きっとあの子は笑って許してくれるだろうけど…それじゃあ私はいけない。

「にしても、椋は遅いわね…」

私が家を出るときには既に支度は出来ていたはず。

(出来ていたというより私がしたんだけどね)

服もリボンも全て身につけてもらった。着替えの途中で残酷なことをしてるんじゃないかと思って椋に聞いてみたけれど、あの子はやっぱり笑って、

「こういうのも楽しいと思うから」

と言ってくれた。

私はつくづく酷い姉なのだと思う。

自分勝手に世話を焼いて、好きな人を奪って、挙句にこんなことにまであの子をつき合わせている。

でも、椋は笑って今も私と居てくれる。

だから、吹っ切ったはずの今も椋の笑顔が時々苦しくて……

私は自分の心に、気持ちに100%でいられなかった。

どんなに理性的な言葉も、偉い心理学者が言った感情論でも、

この言い知れない、不確かな気持ちは、

理屈なんかじゃなかった。

思考の闇に飲まれそうで、息苦しくて顔をあげる。

茂みの中から見えるあいつの背中。

遅刻することもなく、私を…待っている。

何事かを呟いているみたいだけれど、ここからでは聞こえない。

もうすぐ椋が来て、きっと2人は楽しそうに会話する。

この距離は…私の弱さなのかもしれない。

足音が聞こえてきた。

朋也はそちらを向き軽く手をあげて答え、

走ってきた椋は少し苦しそうに息を整えてから朋也に話しかけた。

そして、2言3言交わした後、椋がこちらにも聞こえる悲鳴をあげた。

「……ええぇーー!!??」

(…まったく)

私たち姉妹には演技というものに関する才能がないのだろう。

「早速ばれたわね…」

口調の苦々しさとは裏腹に頬が緩むのを感じる。

椋の出かけに確認した姿は恐らく親でも見間違うだろうほどに、それは私の姿だった。

それを朋也はすぐに見抜いてくれた。

「せっかく気合入れて似せたのに、つまらないわね」

恨めしい言葉も照れ隠しにしかならない。

ふと、見てみれば椋が朋也の言葉に苦笑している……

私に対して朋也が何か言ったのだろう。

とりあえずさっきの照れ隠しついでに睨んでおく。

「……じゃあ、…直に」

風向きが少し変わったようで会話が途切れ途切れだけど聞こえてきた。

椋が朋也に説明を始めたみたいだ。きっと私と打ち合わせた通りに話しているのだろう。

離れようかと思ったけれど、やめた。

(ま、ヘタに動いて見つかっても間抜けだしね)

言い訳もそこそこに会話に耳を傾ける。

朋也が椋の説明もそこそこに切り返す。

「そっか、集会か?」

聞かなきゃ良かった。

(おぼえてなさいよ……)

今度は本気の殺気を含ませて睨んでおく。

「実は、私、お姉ちゃんに代役を頼まれてきたんです」

「代役って……まさか、デートのか!?」

椋の説明を聞きながら朋也は忙しそうに頭を抱えたりと様々に反応する。

(これは、これで意外に面白いわね)

「「あはははっ!!」」

どういう流れか聞こえなかったけど2人分の笑い声が響いた後に朋也が椋を促して歩き始める。

椋はそれを呼び止めて、鞄から一枚の紙を取り出して朋也に渡した。

それは私がばれた時用に書いた朋也への手紙。

(手紙っていってもレポート用紙に殴り書きしただけだどね)

とは言っても書くのに30分もかけてしまったのは秘密。

それも最後のたった一行を書くか書かないかにそのほとんどを使ってしまった。

朋也は受け取った手紙をちゃんと読んでいるのだろうか?

そんな私の心配を他所に朋也はざっと見てからすぐに適当にポケットに紙を突っ込んでしまった。

(…ま、そんなもんよね)

朋也はきっとちゃんと読んだと思う。

内容が大したことではないのだからいくら手紙とは言えそんなにじっくりと見るものでもない。

(それに…)

あまりじっくりと見られても…私としてはそれはそれであまりよろしくなかったのも事実。

2人が歩き出す。

並ぶ姿。2人の距離。

その距離が遠くも無くて、決して近くも無くて…

2人はもっと傍にいたはずなのに、私はそれに自分が割り込んでその距離にさせた。

自分の勝手で人と人の距離関係を、2人の気持ちを…。

「ま、こんな懺悔も傍から見れば都合の良い言い訳よね」

呟いただけの言葉がやけに痛い。

「……あと追っかけなくちゃ」

何だかその場で蹲りそうだったので、言葉で勢いをつけて予定通りに行動する。

日陰から出ると、日差しに当てられて少しめまいがした。

まだ夏本番とは言い難いのに少し強い太陽の光。

(みんなが私を責めてるみたいじゃないの…)

頭を押さえつつ私も歩き始めた。

 

 

§

 

 

不思議な透明感と青さを持った光の水の中を魚たちが泳ぎ回っている。

「……あの魚、食べれるのかな」

心底下らないの呟きだと思う。

でも、水族館というのには感謝すべきだったかもしれない。テーマパーク系に行かれてたらどんなに恐ろしかっただろうか。

観覧車に乗る姿を想像してみる。

一人でする順番待ちの拷問、案内役のお姉さんの苦笑い……

(私の人生史上最悪の姿じゃない)

しかも前に乗ったカップルを観察しながらときたら、

(ダメね、耐えられないわ。そんなのきつすぎる、って今やってるのってそれとそう変わらないか)

また自己嫌悪に陥る。

ループ、ループの繰り返し。

まるで目の前を回る回遊魚たちのようにグルグルと回り続ける思考。

(もしかして…考えるのやめちゃったら死ぬのかしら?)

そうかもしれないわね、とも思う。きっとここでこの堂々巡りの思考を停止させればきっと私は動けなくなる。

考え続けることが今このときに課されたものなのかもしれない。

(今日が終わるまでに結論とまで行かないまでもヒントくらい得られたら合格ね)

そろそろ体内の空気が全て抜け切ったかなと思えるほどになってきた。

ため息と共に水槽から目を離す。

視線の先には2人の姿。

テーブルを挟んで座る姿はどこからどうみても恋人のそれでしかなく、私の思いは複雑。

本当なら想いは一つでなければならない。

それは嫉妬。

ただ、2人の姿に嫉妬さえしていればいいのに…

私は喜んでもいる。

それは…奪った妹の幸せを償うことで得る偽善的な安堵。

それは……妹が笑っている顔を望む姉としての気持ち。

馬鹿みたいに朋也を睨んで「何にやにやしてんのよっ!」とでも文句を言ってさえいればいいのに…。

何が正しい答えなのかもわからない。

どれが自分の気持ちなのかもわからない。

椋には新しい恋人できた。

まだ会った事はないけれどきっと良い人。

今更になって椋に朋也を…なんて言ってもそれは私が虚しくなるだけの事。

椋は私を怒るだろう、軽蔑するだろう……朋也も離してしまったらきっと二度と戻らない。

でも、この不確かな気持ちを抱いたまま2人に接していて良いのか…

2人が立ち上がる。

次はイルカのショーだ

それは――きっと楽しいだろう。

 

 

§

 

 

夕焼け空の下、とぼとぼと歩く。

つくづく自分は甘いのだと思い知らされた。

「最悪だわ……」

2人を見失ってしまった。

ショーの連続だったから人込みが多いのは覚悟していたのだけれど……

気がついたら一人。

元々一人で来たようなものだったのに、2人が見えない、それだけで母親に置いていかれた子供のように心細かった。

結局あちこち探しても見つけることが出来ずに駅まで戻ってきてしまった。

夕暮れの商店街を落ち込んだ勢いごと背中を丸めて歩く。

(なにやってんだか……)

後半のドタバタで考えの答えどころではなくなってしまった。

(今思えば二人を探して水族館をグルグル歩き回ったわよね…回遊魚そのものね)

思わず苦笑い。

今日、私は思考と行動の二度で、夢見たこともあるお魚さんになった訳だ。

でも、その時の気持ちを思い出してみれば頭の中なんて真っ白で何もそこにはなかった。

魚になるって意外に大変なのかもしれない。

気がついてみれば家の近くまで歩いてきていた。

顔をあげて、飛び込んできた光景に私は慌てて身を隠す。

そして、それを電柱の陰から片目だけ覗かせて盗み見る。

シルエットは紛れもなく椋と朋也。

ちょうど、椋がお辞儀をして家に戻るところ。

軽く手を上げてから朋也がこちらに足を向けて歩いてくる。

ゆっくりと足音は近づいて、朋也の長い影の先端が私の側を通り過ぎていく。

何故かその足音が私の傍で止む。

「出てこいよ」

聞きなれたぶっきらぼうな声。

覚悟を決めるしかないようだった。

少しはそうなんじゃないかなぁという気もしていたのも確か。

エレベーターは同じものに乗る訳にはいかないので一つ後のに乗ったりしていたんだけど、不思議と2人がエレベーター付近にいたりした時なんかは特に。

「いつから?」

最大限にさり気なく聞いてみる。

「朝から」

「……なんか、それって物凄く失礼な気もするんだけど。分かっててあんた私をほったらかしにしたってことでしょ」

「お互い様だろ」

「…そうね」

全くを持ってその通りだった。朋也は決して悪くない。

「なんで、何でこんなことしたんだ?」

今度は朋也からの質問。

でも、その答えはまだ出てない。

「んー…愛情確認?」

だから、思い浮かんだ言葉で適当に答えてしまう。

「んなもん、本人に確認とれよ…どこぞのテレビ番組の企画みたいなことするな」

でも、適当に浮かんだ言葉が、そんな言葉だからなのか何故か心に反響する。

「分かってるわよ…。私だって朝にはもう失敗だったって気付いてたんだから。それに……確かめたかったのはあんたじゃない」

「椋か?それこそ愚問だぞ。あいつはもう…」

「それも違う。椋が今幸せなのはいつも話を聞いてる私が一番良く知ってる」

そう知っている。椋は幸せなのだ。

「じゃあ誰なんだよ」

それは……他の誰でもない。

何処までも自分勝手で、偽善の塊の、

「あたしよ」

真っ直ぐに朋也を見る。

目が熱い。涙目になっているのかもしれない。

結局、一日我侭やっても答えどころか、ヒントすらも出せず、またこうやって朋也に甘えようとしている自分が情けない。

けれど…、

2人が歩けば不安だった。今にも2人が手を繋ぐんじゃないかって。

椋が笑えば辛かった。朋也の心にその笑顔が刻まれるんじゃないかって。

朋也が笑えば悔しかった。その笑顔は私のもののはずなのにって。

2人が顔を寄せれば怖かった。今にも唇が重なりそうで。

「あたしが不安だったのよ」

(あぁ…そっか)

何だかんだ言って、それが私の心だったのだ。

「にしてもなんで椋なんだよ…冗談がきついにも程がある」

「あたし以外にあんたと付き合っていいと認めるのは椋だけだから」

最大級の不安でそれでいて唯一の不安、ただそれを取り除きたかっただけ。

「……」

「それ以外の女の子には絶対渡さない自信がある。だけど…椋にはなかったのよ」

この心にある不確かな気持ち、それは、

好きな人を奪った懺悔でもない。

好きな妹のための姉の願いでもない。

誰かを好きになった人間ならば必ず抱く、ただの想い。

やっぱりどこまでも自分勝手な気持ちを椋にまで押し付けかけてただけ。

「でも、椋はもう俺にはそういう感情持ってないって分かってるんだろ」

「うん……でもね、朋也」

(なんだ、簡単なことだったんじゃない)

朋也の目をもう一度見つめる。

残念ながら私はこの目の前にいる男の子がどうしようもなく好きなだけで、

そこに妹、椋のことなんて関係なかったのだ。

答えが出た。それは、

「理屈じゃなかったのよ」

いくら回遊魚の如く考え続けてもわからない。

私の心。

そんなことは朝に気付いていたのに。

手紙にあの言葉を残すかどうか悩んでた時点でわかっていたのに。

それを一生懸命にこねくり回してわざわざ別の形にして、これは何なのだろうと悩んでいただけのこと。

「あっ……」

朋也の腕に包まれる。

「大丈夫だ。俺もな、朝は不安だった」

「え?」

「もしかしたら、昔の感情が戻ってきちまって隙を見て椋になんかしちまうんじゃないかって。おまえを裏切ってな」

「でも、大丈夫だった。椋は…大切な友達だよ」

「そう……」

「ああ、安心しろ」

「そうね。うん、安心した」

朋也のことなんて心配してなかったはずなのに…

その言葉は無性に嬉しかった。

包まれていることが名残惜しかったけど、朋也から出来るだけそっと離れる。

「よしっ。これでもう後悔は休日をムダにしたことだけね」

距離を置いて少し大きめの声で話す。

目が潤んでいるのを見られたくなくて、声が上ずってしまいそうなのを隠したくて。

「ああ、そうだな」

「ってあんたは楽しんだでしょうが」

「ああ、楽しんだ。すっげ楽しかったぞ」

おどけた態度で朋也が笑う。

私を元気付けようとしているのがわかりやすくて嬉しかった。

「おちょくってる?」

「ああ、もちろん」

「死にたい?」

隠しておいた総合情報データブックを取り出して構えて、

「ああ、も……って、辞書をしまえ。ていうかそれ辞書ですらねえ!」

放つ。

破壊音や悲鳴は聞こえなかったことにする。

「ちっ」

「……殺る気まんまんだったのな」

「もちろんよ。あたしはなんでも本気でやるの」

そう、私はそういう人間だ。

頭で考えるなんて元から合わないのだ。

椋のおせっかいも、自分の気持ちも、今日の行動も。

私が変な理屈を考え出すとろくなことがない。

「んじゃ、俺帰るわ」

「そう。バイバイ、朋也」

私の言動に満足したのか背を向ける朋也に手を振る。

「ああ……って忘れてた」

が、すぐに振り返って戻ってきた。

「どうしたのよ?」

思わず期待してしまう自分が情けない。

でも、嬉しいものは嬉しい。

「来週の日曜空けとけ」

「え、うん。別にいいけど…」

「遊園地でもなんでも好きなことつれてってやるよ。水族館以外ならどこでも」

「んー…じゃあ、水族館」

「おまえ、人の話聞こうな」

「冗談よ、冗談。ま、いつか私も水族館は連れてってほしいのよね。寂しく一人で見て回っても面白くなかったんだから」

自業自得なんだけれども……。

「ああ、わかった。連れてってやるよ。時間はいくらでもあるんだから」

そうね…朋也が私から離れるなんて心配はしなくていい。

だって、そんなの私は許さないから。

私は朋也が好きだから絶対に離さない。だからずっと一緒にいられる。

それで良かったのだ。

「うん、楽しみにしてる」

最高の笑顔で笑えた、と思っていたら朋也が突然顔を寄せてくる。

「ん…」

「じゃあな」

少しの間、沈黙させられて思考も止まっている間に朋也は手を上げて帰っていく。

私は慌ててその背中に向けて手を振る。

「あ、うん。バイバイ」

 

 

しばらく手を振り続けてから、見えなくなった朋也に言う。

「どうしようもなくなるくらい…好きなのよ」

…恥ずかしい。

でも、それが答えだった。

「うわっ、お姉ちゃん言ってて恥ずかしくないの?」

「へ?え、りょ、椋!?」

「どうしもなくなるくらい……す、」

「わーーーっ!ストップストップ!」

突然現れた妹は、口を押さえつけられながらもにこにこ…もとい、にやにやしている。

「あんた家に入ったんじゃなかったの?」

「仕返し。お姉ちゃんが私たちを付けてたことのね」

「えっ……?」

思わず言葉を無くした。

これには驚いた。朋也ならまだしも椋にまで気付かれていたなんて。

「……じゃあ、2人ともお互いに気付いてたって事?」

「うん。でも、確認とかはしなかったよ。朋也くんも気付いていたみたいだけど、何も言ってこなかったから…」

「なによそれ……私一人ピエロじゃないのよ」

なんだか今日一日の滑稽な自分に笑うことも出来ない。

でも。がっかくりとうなだれる私の肩を椋は優しく叩く。

「でも、私は今のお姉ちゃんみたいに幸せなピエロは見たこと無いと思う」

見上げると鏡に映ったような私とほぼ同じ姿をした椋がそう言って笑っていた。

鏡に映っているのならば…私も同じ顔をしよう。

「そうね、私、今すっごく幸せだわ」

言い切ってやった。

「うわ、言い切った……うん、たまにはお姉ちゃんのお話も聞かせてもらおうかな?」

「え、だってそれは……」

(椋の前で朋也の話をするなんて――)

「お姉ちゃん」

椋に珍しく睨まれた。

(…うん、そうだった。さっき出たばかりの答えだったのに)

好きだから一緒にいたい。私はこの子が、椋が好き。

好きだから離さない。私は朋也が好き。

めんどくさい理屈なんか必要ない。

この子は笑って聞いてくれるのだから…

「うん、そうね。よし……だったら」

「なに?」

「久しぶりにお風呂でも一緒に入って長風呂でもしよっか?」

「――うん!」

椋が笑って家に向かう私に続く。

(まぁ、とりあえずは今日の会話を洗いざらい聞くところからね。特にペンギンショーの後…)

「楽しみね…」

場合によっては体罰も考え、

私は笑いながら妹の手を取って、家のゲートをくぐった――

 



BACK

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送