理屈じゃない


 

いつもの商店街での待ち合わせ。

降り注ぐ日差しはもう、暖かなというよりもジリジリと肌を焼くようなものに変わり始めていた。

一応木陰に避難はしているもののアスファルトが照り返す熱は防ぐことができなくて…

「あちぃ…っていうか遅い」

最近、あいつにムリヤリもたされることとなった携帯をポケットから取り出す。

10時10分。待ち合わせは10時。

「珍し……くもないか。そいえばあいつも俺と同じ遅刻仲間だったんだよな」

(その度になんか轢き殺されかけていた気もするが…)

思い出す度に腰やら足やらが軋みだすのは恐ろしいものがある。

「んでも、あいつが俺との約束に遅れたってのは初めてだな…いっつも辞書装備で待ってる側だし。お?ようやく来たか……」

タッタッタッタッ…

軽快とも言えそうなほどの足音。商店街の向こうからセミロングのシルエットも揺れながら音ともに近づいてくるのが見えた。

「よう」

見慣れた、どちらかと言えばスポーツウェアに近い格好の女の子。この前その服装を見かねて「おしゃれでもしてみたら?」と言ったら「ん……してもいいんだけどね。そんなことしたらあんたが男を追い払うのに大変になるからやめとくわ」と自惚れていた。

絶対面倒だからだな。

ともあれ、俺の待ち合わせ相手はこちらに走ってくる。髪やら服が乱れるのも気にせずやってくる様子は男としてはなかなか感慨深いものがあるんではなかろうか?…だれに聞いてる、俺。

「はぁはぁ……と、朋也、ごめん、待った?」

……。

「あ、いや別に」

「そ、そう。良かった。じゃ、行きましょうか」

「行くって何処に?」

「え?な、何言ってんのよ。今日はデートなんだから、色々と遊びに…」

なんだか必死の女の子。走ってきたせいだけじゃない顔の赤さ、慌てぶりも入ってる。身振り手振りがやたらと多い。

「そうか。じゃ、行くか、椋」

「あ、はい。って…ええぇーー!!??」

まだ商店街としては営業が始まったばかりの時間。静かな通りに俺の待ち合わせ相手である杏ではなく、その妹、椋の声が響き渡る。

「何でかい声だしてんだ、おまえは」

「え、だって…あぅ…やっぱりわかります?」

俯く椋にため息が出る。

確かに、髪の長さは今は同じだし、リボンの結びも同じ位置にわざわざしてある。服装もあいつのものだろう。でも、俺にとってはこの双子の判別は造作もないことなんだ。一回騙されてるからな。

だから胸を張って講釈をたれてやる事にした。

「そりゃあな。先ず声が違う。音程だけ似せてもダメだ。あいつのはもっとこう…ドスが利いてる。ありゃあ長年の経験……って、なんか寒くなってきた」

ゾクっと背中を駆けた悪寒に思わず後ろを見る。

……何もない。まばらな車が平和な町を通り過ぎていく。

「って、何笑ってんだよ」

口元を押さえて、くすくすと笑う椋を睨む。

「だって、朋也くんお姉ちゃんのこと本当に好きなんだなって…話してる時にやけてました。ちょっと…妬けちゃいます」

「そ、そっかよ」

まるで自分のことのように嬉しそうにする椋。なんだか気恥ずかしい。

いつの間にか悪寒もどこかに消えた。でも、いつまでも笑われているのはあんまりよろしくないので…

「で、どうすりゃいいの?俺は」

言われてハッとしたように顔を上げる椋。どうやら自分の使命を思い出したようだ。

「えっと…ですね。じゃあ正直に」

「ああ」

「実はお姉ちゃんは急な用事が出来てしまったので来れなくなりました」

「そっか。集会か?」

ゾクッ

……。今、生命維持に支障をきたす様な悪寒が走ったんだが…。

にしてもスクーターで族の先頭走っていても違和感なく想像できたんだが……謎だ。

「どうしました?……集まりとかではなかったみたいですけど?急に決まったみたいですし」

椋は言葉どおりに受け取ったらしい。冗談も真剣に考えてくれる辺りはこいつの美徳だろう。杏じゃ考えられない。

にしても……まぁ、しょうがないか。

「んじゃ、俺帰るわ。杏に貸し一つって言っといて」

「あ、だめですっ」

帰路に着こうとしたところを椋が裾を掴んで阻止してきた。

「あん?」

「えっとですね……」

分かりやすい。薄っすらと頬を赤らめて俯く椋。言いにくいことを言うのだろう。以前ほどでは無くなったが、今もこうして椋らしい態度をみせてくれるようになったことは俺としては非常に喜ばしいことだった。大胆な椋よりかはこっちの方が断然いいと思う。って…杏が聞いたら不機嫌になるな、こりゃ。

「ん?」

「実は、私、お姉ちゃんに代役を頼まれてきたんです」

「代役って……まさか、デートのか!?」

こくり、と頷く椋。

(アホか、あいつは)

というか、何を考えてるのかさっぱりだ。

仕方ない。覚悟を決めて椋に臨むしかないようだった。

「でもなぁ……はっきりと言うぞ」

「あ、はい。何でしょう」

息を吸い込む。恥ずかしい言葉と辛い言葉が混じるから覚悟だらけだ。

「今は大切な友達の椋だけどな……一応付き合っていた奴とのってのはちょっと気が引ける」

「あ、はい。それは私にもわかります。お姉ちゃんや春原さんや他の人を交えて朋也くんと遊びに行くのはとても素敵なことなんですけど……」

椋からは意外にも同意の言葉が返ってきた。いや意外、でもないか。当たり前だよな。

「んじゃ、代役はいいから帰ろうぜ。送るぐらいはするよ」

「それが……」

深刻そうに顔を伏せる椋。まさか杏の奴…妹を脅して!?それで、椋は俺とデートしてこないと、藤林家秘密地下室でうんたらかんたらの儀式が待ってるとかか!?いやいや、いくら双子だからってそんなこと…あったら良いな。

「朋也くん?」

「山の神様が降りてくるよ……」

「?」

地下に封じ込められていたもう一人の僕が目覚めた辺りで、椋の怪訝そうな視線に気がつく。

「いや、気にするな。で、なんなんだ?」

「私、お姉ちゃんに言われてきてるんです。『私の彼氏ををちゃんと一日楽しませなかったら、明日からあんたのお弁当作らないから』って。…深刻です」

がっくりとうな垂れる椋。まぁ、確かに自分の弁当が食えたものではない椋にとっちゃかなり深刻な問題だよな。

「つーか、そこまで彼氏思いで念入れるならドタキャンなんかすんなよって感じだな」

てか、弁当と取引される俺の価値ってのもどうかと思うが。

「……そう言われればそうですよね、あはは」

「全くだよな、はははっ」

「「あはははっ!」」

青春の爽やかな笑い声が響く。

「「はぁ……」」

ハモるため息。なんつーか、あいつの周りにいる人間ってのはこういう苦労の連続なのかもしれない。そうすると、生まれた瞬間から一緒の椋にはある意味尊敬の念すら生まれるのはおかしなことだろうか?いや、そんなことはない(反語)

ま、でも、しょうがないよな。別に悪いことをするわけでもない。なにしろ、本来罪悪感を覚える対象である奴が言ってきたことだ。問題はない。

「じゃ、いくか?」

「え……良いんですか?」

俺が前向きに発した言葉に椋は戸惑いながら顔をあげる。

「良いも悪いも、おまえの飯が明日からなくなっちまうんだろ?」

「はい…そうです。じゃあ今日一日よろしくお願いします」

ぺこり、と頭を下げられる。気がつけば俺も

「ああ、こちらこそ」

一緒になって頭を下げていた

それがなんだか照れくさくて、その流れを変えることにした。

「と、とりあえず、歩きながらどこいくか決めるか?」

「あ、その前に」

「まだ何かあるのか?」

訝しげに言う俺をよそに鞄をごそごそとあさる椋。

「えっとですね。ばれちゃった時に渡すように言われたものがあるんです……」

「……あいつ、何か無意味なところに頭使うのな」

「ははっ、あ、あった。えと、これです」

「ったく、何が書いてあるんだか」

受け取った便箋を受け取り、その簡易な作りの手紙を開いていく。てか、ルーズリーフだし…便箋使うとかもうちょっと色気のあることは俺の彼女には求めてはいけないのだろうか?

開いて目に入る最近多く見るようになった断じて女の子らしいとは言えたものではない豪快な文字。

『朋也へ

えっと、気が付かれちゃったみたいなので正直に謝ります。

ごめんね。

とりあえず、今日一日椋に頼んだけれど…

椋も一日私にくれてるわけだからちゃんと楽しい日にしてやって

でも、椋に手を出したらぶっ殺すから

                       杏    』

「ふぅ…」

「あの、お姉ちゃんなんて?」

心配そうに椋が覗き込んでくる。

多分、ばれてしまったことに対しての怒りがなかったかどうかを気にしてるんだろう。安心して欲しい。どう転んでも殺意は俺にしか向けられないようになっているらしいから。「ぶっ殺す」だけ油性マジックで書いてるのはどういうことか。

「別に特別なことは書いてなかったよ」

「そうですか…」

「じゃ、とりあえず駅にでも行きながらだな」

「あ、はい」

2人で歩き出す。

手を取るでもなく、肩を寄せ合う訳でもなく。

それは懐かしくもある、新たな俺と椋の距離。

椋が俺の歩幅に合わせようと早めに歩く。

けど、やっぱり遅れてしまう椋に俺が合わせる。

多分、これでいいんだと思う。お互いが気遣えて、自然な位置関係。

手でポケットにつっこんだ便箋をもう一度押し込む。

『でも、椋に手を出したらぶっ殺すから』

その下に遠慮するようにある、薄れた文字。

何度も消したのだろう。何度も書いたのだろう。

結局、跡が残っていてばっちり読めていた。

『マジでやめてね…それだけはちょっときついから』

(だったら初めから代役なんて頼むなっつの)

思わずため息が出る。

が、幸いなことに隣を歩く椋には聞こえなかったらしい。

右手を握り締めて、椋の横顔を盗み見る。そっくりな2人の顔立ちが一瞬被る。

どっちにしろ俺はこの一日を楽しいものとするしかないらしかった…。

空を仰いで叫びたい気分だ。

 

 

 

§

 

 

 

結局、近場の水族館に行くことに。

椋にはそれなりに好評だったらしく、色々と見てはその度に笑顔を見せてくれた。

ひとしきり見て回ったところで、館内の一番大きな水槽の前にあるラウンジで遅めの昼食をとることにした。360度の周り全てが回遊式の水槽に囲まれたラウンジは、水槽から発せられる青白い光が照明となっていて、俺みたいなのから見てもなかなかいい雰囲気だった。

現在、椋はご機嫌に俺の目の前で色気ゼロでパフェをぱくついていた。双子だな、とこんなとこで思わされるとは…。

「おまえ、結構甘いの好きだったんだな」

「え?」

無心で食べていたのか突然の問いかけに椋は驚いて顔を上げる。

「あ、はい…甘いものは別腹ですから」

照れたように、そして申し訳なさそうに答える。

飯食ったのにまだ入るのか?とでも聞こえたのかもしれない。

俺はジュースを飲むことで誤魔化した。

「で、この後はショーがあるんだっけ?」

「はい。イルカとペンギンのショーだそうです」

「楽しみだな」

「はいっ」

目の前の椋の笑顔。もし、別の未来があったとしたら……この笑顔が俺の側にあったのだろうか。

その考えを振り払おうとしてやめた。

その想いは大切なものだ。同じ時を2人で過ごした。

そして、そうやって時折頭に出てくるというのはそれが俺にとって、とても大切だった時間だったという証だから。その度に苦しむのは俺の受けるべき罰だろう。椋は一生許さないと言ってくれたのだから。

だから、きっと俺はこういう話も出来るんだと思う。痛みを超えた先にある話も。

「椋」

「はい?」

パフェは食べ終わったらしく、ジュースの残りをちびちびと飲んでいた。

「おまえ今付き合ってるんだって?」

「え、わっ……はい。お姉ちゃんですか?」

顔をボッと真っ赤にして上目遣いで返す椋。その顔は女の子のそれだった。

「ああ。杏から聞いたよ。で、どんな奴だ?いい奴か?」

「あ、はいっ!とっても」

「言い切ったな」

俺がにやっと笑うと治りかけていた顔が再び灯った。

それでも、椋ははっきり照れながら

「あぅ……でも、いい人です」

幸せそうに言った。だから、俺も静かに返す。

「そか、それなら安心だ」

「え?」

「元彼としては気にならない方が嘘だからな」

我ながら恥ずかしい台詞。てか、モトカレかよ…すげぇな俺。

一人照れる俺。が、

「あ、そうなんですか」

と椋は軽く扱った。たまに照れの焦点がこいつとはずれる気がする。

「そうなんだよ…で、具体的にどんな奴?」

「具体的にですか……心の綺麗な人です」

「おまえ、それ思いっきり抽象的な」

目を輝かす椋に一応つっこむ。でも、その顔は考えてる奴のことを羨ましく思うような顔。

…思い出す。今朝の出来事。

『だって、朋也くんお姉ちゃんのこと本当に好きなんだなって…話してる時にやけてました。ちょっと…妬けちゃいます』

まさか…杏のこと考えながら俺もあんな顔してたってのか…。それはまずいな。

そんな俺の葛藤なぞ知る由もなく、椋はなんか謝ってた。

「あうぅ…すいません」

「いいって。それにしてもそれじゃあ俺とまるっきり正反対だな」

冗談のつもりで笑って言ってやると、椋は真剣な顔でこっちを見てくる。

「そんなことはないです!」

そして珍しく大きな声で言ってからすぐ顔を真っ赤にした。そして小さく呟く、

「……その、朋也くんの心もとっても綺麗です。わ、私が好きになった人だから間違いありません」

…とても照れくさい台詞だった!

思わず顔の赤さが伝染しそうだ。

「そっかよ」

としか返せない。ここでヘタに戸惑う訳にもいかないしな…。

「でも、ちょっと違うんです。朋也くんは田舎の小川のような親しみやすい綺麗さなんです。その人は…周りをも浄化してしまいそうなほど純粋な綺麗さなんです」

そう言う椋の表情はひどく安らいでいて…嬉しく思う。

「そっか。おまえそいつのこと本当に好きなんだな」

俺の言葉に一瞬照れた後、笑って

「はいっ」

椋は胸を張って答えた。

 

 

 

§

 

 

 

商店街へと帰ってきていた。

夕暮れ時。夕飯の買い物で賑わう街。でも、それも歩いていくうちに徐々に薄れていく。子供たちの姿も薄れ、買い物袋をもって人たちもみんな自分の家に戻っていく。

今日はもうすぐ終わりなんだな…

今日は楽しかっただろうか。

椋と歩いた道を思い出していく…

魚や蟹とかを見て、旨そうとしか感想を漏らさない俺に困ったように笑う椋。

嬉しそうに買ってやったクレープやらなんやらを食べる椋。

現状を幸せそうに俺に語る椋。

……あぁ、楽しかったな。

廻る光景から戻り、周りを見回すとゲームセンターが見えた。ムダに賑やかな音を外まで漏らしている。

気になって俺は側を歩く椋を見ると、椋の視線もその存在に留まっていた。

「やるか?」

自然に問いかけていた。

「え……あ、はいっ」

ちょっと戸惑ったけど…嬉しそうに頷いてくれた。

何をとは言わない。それは二人だけが通じ合う無言の会話だった。

様々なゲームが騒がしく音をたてる中、カーテンで仕切られた一室に入る。

水族館と同じ、でもやっぱり違うと思う、液晶から照れされる青白い光。

「うし、始めるか」

「はい…」

それぞれのデータを入力していく。もう♂と♀を間違えることなんてなく、カーソルの操作も易々と椋はこなしていく。

真剣な椋の横顔を見て思う。

変わることは悪いことじゃない。

変わることには、強くなることだって含まれるんだから。

画面が切り替わる。

『あなた達の関係を選んでください』

俺は迷わず【友達】を選ぶ。

(一応…気にした方がいいよな?)

と、横を向くと…

にこっ、と椋は笑って頷いてくれた。

2人で水晶の上に手を重ねる。もう、迷うことはない。

天球が回転を始めた。

線で結ばれた様々な星達が俺達を囲むように駆け巡る。

聞こえる音楽。手の甲の温もり。光の群れ。そこには懐かしさがあふれていた。

やがて、星達が中心として回っていた太陽がこちらに迫って…白くはじけた。

音楽は終わり、星も元の位置へと。

液晶に俺達の名前と結果が表示される。

「お、出たな…どれどれ」

椋も一緒に覗き込む。

『今週のあなた達は新たな道を見つけるでしょう。それは、困難な道か、楽しい道になるかはあなた次第となるでしょう。でも、心の中にその道を素晴らしいものとするものは既にあります。もしかしたらもう見つけているのかもしれません。相手をきちんと見て、お互いの気持ちを理解すればそれはより一層簡単なものとなるでしょう。ラッキーアイテムは、手紙、水。ラッキーカラーは、青』

2人は顔を見合わせる。

そして、吹き出す。

「なんかなぁ」

「はい」

頷くように確かめるように

「今更って感じだよな」

「今更って感じですよね」

同時に言って、また笑った。

 

 

 

 

玄関の扉の前で椋は頭を下げていた。

「ありがとうございました」

「いいって、気にすんなよ」

藤林家の前。もう、デートは終わりということだった。

「あの……今日は楽しんで頂けましたか?」

それは事務的な確認なのかもしれない。でも、俺はあえて違うようにとった。

「椋は、椋は楽しかったか?」

「え?……はい、とても」

穏やかに微笑む。その手には星占いの結果の紙。

「なら、俺が楽しくない訳がない」

そう言って頭をぽんっと軽く叩いた。

「良かったです。では、」

くすぐったそうにしてから椋は目でさようならと告げる。そこには…もうちょっと一緒にとかそういう含みは全くなく、ありがとう、という気持ちが全面に見えた。

俺はそれに答えるように手を振る。

「ああ、じゃあな。あ、やっぱり杏には貸し一つって言っといてくれ」

「はい、わかりました」

笑ってから椋は玄関のドア開けて家の中に帰っていった。

そして、振り返ってきた道を戻る。

うちに戻るには一端商店街まで戻らなければならない。でも、それはもう慣れた行動だった。杏に付き合ってれば家まで送らないなんてことは有りえないからな…。

その帰り道の途中。電柱に向かって話しかける。

「出てこいよ」

一応、言っておくが別に俺は危ない病気じゃないからな。

思ったとおりに電柱の後ろから一人の女の子がばつが悪そうに出てくる。今日の椋と似たようなスポーツウェア系統の服装の女の子。

「いつから?」

杏は頭をかくような仕草で言う。ついでにため息もつけて。

「朝から」

「……なんか、それって物凄く失礼な気もするんだけど。分かっててあんた私をほったらかしにしたってことでしょ」

「お互い様だろ」

「…そうね」

何も言わなくなる。今、杏は何を思っているのだろうか。

黙っているのもなんなので会話を続ける。聞きたいことは一杯あるしな。

「なんで、何でこんなことしたんだ?」

「んー…愛情確認?」

杏は上の空で答える。

「んなもん、本人に確認とれよ…どこぞのテレビ番組の企画みたいなことするな」

「分かってるわよ…。私だって朝にはもう失敗だったって気付いてたんだから。それに……確かめたかったのはあんたじゃない」

「椋か?それこそ愚問だぞ。あいつはもう…」

「それも違う。椋が今幸せなのはいつも話を聞いてる私が一番良く知ってる」

また、ため息をつく杏。

「じゃあ誰なんだよ」

「あたしよ」

そう呟いてから観念したようにこちらを向く。

視線がぶつかる。そこにあるのは杏の…いつか見た今にも壊れてしまいそうな表情。

「あたしが不安だったのよ」

「にしてもなんで椋なんだよ…冗談がきついにも程がある」

ふぅ、とため息をつくと杏は小さく呟いた。

「あたし以外にあんたと付き合っていいと認めるのは椋だけだから」

「……」

「それ以外の女の子には絶対渡さない自信がある。だけど…椋にはなかったのよ」

小さな女の子のように自分を腕で抱える杏。

「でも、椋はもう俺にはそういう感情持ってないって分かってるんだろ」

「うん……でもね、朋也」

見つめられる。

「理屈じゃなかったのよ」

崩れそうな杏をそっと抱き寄せた。

「あっ……」

「大丈夫だ。俺もな、朝は不安だった」

「え?」

「もしかしたら、昔の感情が戻ってきちまって隙を見て椋になんかしちまうんじゃないかって。おまえを裏切ってな」

ビクリと腕の中の杏が震える。

やっぱり疑ってたか…まぁしょうがねぇよな。実際椋なんかよりこいつの方が精神面じゃ全然弱いのは分かりきってたし。俺が言葉で安心させてやる以外にはないんだろうな…。

「でも、大丈夫だった。椋は…大切な友達だよ」

「そう……」

「ああ、安心しろ」

「そうね。うん、安心した」

杏がそっと腕をほどく。

向き合う。抱きしめている時よりもこっちの方がなんだか恥ずかしい気もする。

「よしっ。これでもう後悔は休日をムダにしたことだけね」

唐突に語気を強める。奮い立たせているんだろう。

「ああ、そうだな」

だから付き合ってやることにする。彼氏の務めって奴だろうか?

「ってあんたは楽しんだでしょうが」

「ああ、楽しんだ。すっげ楽しかったぞ」

体中で表現してやると、杏の目がひくりと引きつった。

「おちょくってる?」

「ああ、もちろん」

「死にたい?」

「ああ、も……って、辞書をしまえ。ていうかそれ辞書ですらねえ!」

叫びながらぎりぎりで体をひねると、目の前をイミダス2003が通り過ぎる。

風圧と言うよりも衝撃波に近いものを残して。遠くで轟音がした。悲鳴も。

「ちっ」

「……殺る気まんまんだったのな」

「もちろんよ。あたしはなんでも本気でやるの」

薄い胸を張り、からからと笑う杏。

それはもういつも通りの杏だった。

「んじゃ、俺帰るわ」

「そう。バイバイ、朋也」

「ああ……って忘れてた」

どうしたのよ、と杏が不思議そうな顔をする。口元が嬉しそうなのは俺の意識過剰だろうか。

でもまぁ、せっかくの日曜を潰されたのだ。少しは返してもらわないと困る。

「来週の日曜空けとけ」

「え、うん。別にいいけど…」

「遊園地でもなんでも好きなことつれてってやるよ。水族館以外ならどこでも」

「んー…じゃあ、水族館」

「おまえ、人の話聞こうな」

「冗談よ、冗談。ま、いつか私も水族館は連れてってほしいのよね。寂しく一人で見て回っても面白くなかったんだから」

ため息をつきながら回想する杏。

それは自業自得だろう、とはあえて言わなかった。

「ああ、わかった。連れてってやるよ。時間はいくらでもあるんだから」

「うん、楽しみにしてる」

笑顔の杏を引き寄せて、少しだけ唇を触れさせてから離す。

「ん…」

「じゃあな」

「あ、うん。バイバイ」

振られる手に背中を向けて手を振って答える。

角を曲がる時にちらっと見たら、杏はまだ手を振って立っていた。

 



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