「暇だ……」
放課となった直後に出た言葉はそれだけ。
空席の隣の席を睨みつつ、これからの暇をどう扱うかに非常に悩む。
土曜の放課後をいかに過すかという問題は学生にとってそれなりに深刻な問題なのだ。
放課であるにも関わらず空いてしまった微妙な昼間の時間の過ごし方。
そんな時にしか役に立たない奴が今日に限っていないのだ。
なんとなく腹が立ったので、椅子の足二つを机の中に突っ込んでおく。
微妙に不安定に突き出る椅子が意外に面白い。この際机の中での被害は無視。
「ったく、春原の奴。土曜ぐらい来いっての…」
とりあえず、毒づく。こんなことじゃ、暇つぶしにもなりゃしない。
大方、寝過ごして昼近くまで起きてこないパターン。土曜にそれをやれば無論欠席だった。
しかし、困った。
春原がいないと、『あいつで』、俺が、遊ぶことが出来ない。
今から寮に向かうのもありなのだが…それは有意義な土曜の過ごし方としては到底思えない。
というか…普段の俺は春原で遊ぶのは有意義だったと考えていたんだな。
心底、改めようと思う。
「まぁ、今日はしょうがないよな。宮沢あたりにご馳走になって帰るとするか」
……浮かぶ、炒められた冷凍チャーハンと、宮沢のほんわかとした笑顔、そしてそれを見つめる強面の面々。
凄く嫌だった。
かと言って別段なにかすることがあるわけでもなくて…
「商店街でぶらぶらしてたら誰か見つけられるかもしれないな…まぁそれでいくか」
結局ムダに過ごすことになりそうだった。
仕方ないので薄っぺらい鞄を引っつかんで教室を後にする。
商店街なら杏や、ことみ達とも会える可能性が高いしな。
そして、廊下に出た途端、
一陣の風が前を通り過ぎるのを感じる。
とっさに鞄でその通り道をふさいでいた。
「おい。廊下を走るな」
忠告するも、
「〜〜〜〜〜〜っ!」
鼻を押さえる本人はそれどころではないようだった。
「何するんですかっ。風子自慢のお鼻が真っ赤になってしまいました。あんなに立派だったのにぺちゃんこですっ!」
「いや、元からそんなもんだろ。というか小さかったからこそその程度の被害で済んだというか…」
「失礼ですっ。風子の鼻は、もうちょっと高かったら世界情勢が一変すると言われるほどのキワモノです」
「それって結局低いんじゃないか…?まぁ、いきなり鞄で殴打は悪かったよ」
「最初から素直に謝ってくださいっ」
板状の胸を突き出して偉そうに言う風子。
ま、とりあえず…おもちゃゲットだな。しばらくは遊べそうだ。
「で、風子に何か用ですか?風子は忙しいんです。まあ、可愛らしいヒトデを持った、これまた可愛らしい少女を見かけてしまったらついつい声を掛けたくなる心理は風子にもわからなくもないですけど…」
星型の異物を抱いて、ややうっとりとした感じでまくし立てる風子。
このまま放っておけば後、2、3行で夢の国逝きだろうな。
しかし、そうなってしまったらせっかくの遊び道具が使い物にならなくなってしまう。
「なぁ、風子。ちょっと時間あるか?」
「ありません」
「即答かよ。ま、ちょっとでいいから付き合ってくれよ」
「嫌です。何で暇&変人岡崎さんに風子が………はっ」
ささっ
前髪を整える。
「いや、頬を赤らめるな」
「しかたないです。岡崎さんのせっかくの勇気。デートぐらい付き合ってあげますっ」
「いや、ただの暇つぶし」
「……最悪ですっ!少しでも期待した風子がバカでした!」
「ああ、バカだな」
「失礼なこと言わないで下さい。風子バカじゃないです」
「いや、おまえ自分で言ったからな。大体さ、おまえみたいなのを誘ったりするかよ」
「嘘ですっ。風子みたいな大人の魅力満々の女性を見つけてデートのお誘いをしたくならないなんて、何かが間違ってます」
それは間違いなく、おまえが間違っているな。
頬を膨らまして威嚇混じりに拗ねる風子。
追い討ちをかけることにする。
「一応言っておくがお前は大人の女性のカテゴリーにかすりもしてないからな」
「………」
目を見開いて固まる風子。
こいつがこういう風に驚いて言葉に詰まるのは珍しい。
ていうか、本気で魅力満々のつもりだったのか。
恐ろしい奴め。
「お、大人の女性とは…岡崎さんの考える大人の女性とは何ですかっ!?」
あの程度の攻撃ではこの少女を倒すことは不可能だったらしい。
風子は突然ばっ!と顔をあげ、小さい体で精一杯背伸びして詰め寄ってきた。
その表情にはなんだか非常に鬼気迫るものがある。
しかし……このアホみたいに真剣な表情。
(…使える)
どうやら、土曜の午後は暇をせずに済みそうだな。
ニヤリ、と口が緩みそうになるのを抑えた。
「そうだな…、俺の偏見でいいか?」
「構いません。この際我慢します」
「………。ま、あれだ。女教師とか女医ってのは大人の魅力があふれてる気がするな」
「ジョイさん?異国の方ですかっ」
「おまえはいつの時代の人間だ?…女医さんてのは女性のお医者さんの略称のことだ」
「なるほど、お医者さんですか」
「ああ、知的な女性というものは総じて大人の魅力というものを感じさせるな」
「………。風子、感心しました」
意外そうに俺を見てくる風子。
「何にだよ」
「岡崎さんから物を学ぶ日が来るとは…岡崎さんもたまには使えるんですね」
「………」
まん丸とした瞳が愛らしいなどと一瞬でも思ったのを記憶から排除。
しかし、そんな俺の怒りなど気にすることもなく風子は顎に手を当てて何事かを考えている。
その考えの結論は、
「決めましたっ!風子、お医者さんになって大人の魅力全開になりますっ」
両手でヒトデを掲げ、そう宣言することだった。
「おまえ、春原ばりに扱いやすいな」
「え、何か言いました?」
「何でもねぇよ。でもな、風子」
「はい、なんでしょう」
「医者ってのは沢山勉強しなければならないんだぞ。病気とかに詳しくなければならない」
「大丈夫です。風子はもとは良いですから知識さえ詰め込めば楽勝です」
根拠の無い自信にまたも胸を張るちっちゃいお子様。
ま、それでこそからかいがいがあるってもんだけどな。
「そうか…では、俺がその知識を伝授してやろう。もちろん、俺は医者ではないからその一部しか出来ないが…付いてくるか?」
「教師に不満が無い訳ではないですが、今日のところは勘弁してあげます。風子は、目的の為なら手段を選ばないタイプです」
「そういうとこだけ…おまえ、大人な」
「さぁ、授業を始めてください」
「あ、ああ…そだな。先ずは…」
というか、本気でやるのか、俺は。
大体何を教えたらいいんだ?
勢いで教えるなんて言ったもののそうそう医者的知識なんて転がってるわけ…
あった。
「風子、ちょっと見てみろ」
教室の中を示して促す。
「はい?」
「ほら、人だかりが出来てるだろう?」
「はい」
「中心でトランプを並べている女子。わかるか?」
「見えました。あの人がどうかしたんですか?」
「あいつは…病気なんだ」
「え!?そうなんですかっ。風子にはちょっとおどおどした一般生徒にしか見えません」
「それはまだおまえの知識が足りないからだ」
「そうですか…で、何て言う病気なんですか」
「『易病』だ」
「岡崎さん、適当なこと言ってませんか」
「言ってない。その病気にかかるとな…占いに異常な執着心をもつようになってしまうんだ。朝の占いを見逃せばその日は不安で不安で、精神不安定に陥ってしまって何も出来なくなる。もちろん全チャンネルの占いを網羅する。そして最終的には他人からの占いを見るだけでは満足出来なくなってしまい、自分で占い始めるという厄介さだ。しかも、この占いが色んな意味で当たるから迷惑ものだ」
「…恐ろしいですっ」
小刻みに震える風子。
適当に勢いを付けて言えばこいつにはどうにか通じるらしい。
補足とかしておくと効果的かもしれないな。
「ちなみに古くは平安時代の貴族達が多くこの病気にかかり、度々家から出なくなったりしたそうだぞ」
「そんな前からですかっ!お医者さんはこの病気と1000年以上も闘い続けてるのですね」
「あぁ、そうだ。医者は偉大だ。そして、そんな奇病に見舞われた藤林に合掌」
「はい、合掌」
「朋也、あんたね…人の妹を何だと思ってんのよ」
振り返れば目を光らせた鬼……もとい杏がいた。
相当に不機嫌なご様子。頼むから辞書をちらつかせるな。
「いたのか?」
「ええ、あんたがくっだらない話を始めたあたりからね」
「まぁ、冗談だ」
「その子はそうは思ってないみたいだけど?」
辞書の先端で示される風子は、小刻みに震えながら私が治して見せますっ、とかなんとか呟いていた。
「人の妹を病気呼ばわりとは良い度胸ね」
「まぁ、落ち着けよ」
「落ち着けるかっ!背後から一撃でしとめられなかっただけでもありがたいと思いなさい」
「岡崎さん、どうしました」
クイックイッと袖を引かれる。
俺の後ろに隠れながら、杏を見つめている。
そういえば、こいつは人見知りするんだった。
最近、あまりに口数が多いんで忘れてたな。
んで、教室内の藤林と杏を見比べて…
「分身しましたっ」
「のっけから失礼だな、おまえ。こいつはあそこにいる藤林の双子の姉だよ」
「双子ですか。それは失礼しました」
ぺこりと頭を下げる。
意外に素直なところもあるんだな。
見てみれば杏もそれほど心象を悪くしていない。
上手くいけばこいつの紹介とかで逃れられるかもしれない。
「あのな、杏。こいつは…」
「分身ではなくて、分裂ですねっ」
最悪だった。
「で、岡崎さん。この方は何かの病気にかかっていらっしゃったりしますか?」
最悪は続く。興味津々で杏を覗き見る風子。
杏は…静かだ。台風の前は、天気は穏やかなんだよな。
でも、そんな表情見てても聞かれれば答えてしまうのが性というもの。
「ん?ああ、こいつは『杏病』だな。『凶暴』の語源とも言われる病気だ。ところ構わず暴れるというやっかいな……風子、走れ」
「え?」
凄まじい負のオーラから逃げ出す。風子を抱えて。
つーか、杏。冗談ってわかれ。
「最悪ですっ!降ろして下さいっ。風子、荷物的な扱いはされたくないです」
「なら、この状況で一人で生き残れるか?」
「とーもーやぁー!!!」
ゴッ!「うわぁ!」
ドガッ!「う…っ!」
ガシャーン!「きゃあーっ!窓がっ!」
後ろからの叫び声にあわせて人が散っていく。
地獄絵図だった。舞う辞書は惨劇のみを生み出している。
それを見た風子はしっかりと俺にしがみついてきた。
「風子、岡崎さんにこの身を任せますっ。だから、死ぬ気で守ってください」
「おまえ、現金だな。でも、任せろ」
§
「ここまでくれば…大丈夫だろ」
「岡崎さんのせいでとんでもない目にあいました」
「否定はしないが…おまえも加担してたのは認めろよな」
気がつけば商店街まで走ってきていた。
人に運んでおいてもらって風子はそんなこと知りません、といった感じでさっきから俺を責めている。
生きているからよしとするか。
「ま、これでおまえは二つの病気について詳しくなった訳だ」
「………。風子、賢くなりましたっ」
こいつ、一瞬忘れてたな。
「それで、次はどの人ですか」
「んーそうだな。でもなぁ、相当病気の人なんて…」
「岡崎じゃないか…?」
後ろから青い作業服姿の人物に話しかけられる。
「あ、ちっす」
「よう。どうした、今日は…デートか」
芳野さんは意地の悪そうな笑顔で俺らを交互に見やった。
「違いますっ。風子、岡崎さんとデートなんて絶対しません。ありえないですっ」
「おまえ、初め仕方ないから付き合ってやるとか言ってたじゃねぇか」
「気のせいです」
そんな俺らをみて芳野さんは笑っていた。
「仲がいいな。楽しそうで羨ましい」
「そんなことないっすよ。こいつの扱い大変で…」
「扱ってるのは風子です。勝手に勘違いしないでください」
「おまえの辞書に謙虚とかそういう文字はないのか」
あほな会話を続ける俺らを見て、
「やっぱり、いいな。若い者同士ってのは…」
しみじみと芳野さんは語り始めてしまった。
「いいか、若いってのは武器だ。だが、決して防御には使えない。若さは決しておまえらを守ってくれないんだ。それを忘れるな。きっとおまえらはその武器で戦っていくだろう…戦って戦って、いつかそのぼろぼろになった武器を見つめる時が来るだろう。その時におまえらは絶望や失望をするかもしれない。だがな…っ!」
止まりそうになかった。
クイックイッと風子が袖を引っ張る。
「岡崎さん、風子はこの人も病気なんではないかと見抜きましたが、どうですかっ」
「おまえも成長したな。ああ、この人も病気に侵されている」
「やりましたっ!風子、いんてりじぇんすです!大人の魅力満載です」
「あぁ、良かったな」
「で、この人はなんていう病気なんですか」
「この人は…『熱病』だ。とにかく熱い。魂、言動全てが熱くなってしまうという迷惑な病気だ。この病気がもつやっかいなところは自覚症状がない、というところだ。本人の熱い魂に時々周りは置いていかれがちになるんだが…本人は気付いてくれないんだ」
「現在の状況ですね」
「そういうことだ。風子、行こう」
「はい」
商店街を通り抜けていく。
背後から魂の叫びが聞こえてくる
「いいかっ!若者よ!どんな苦難を味わっても、どんな状況に陥っても…笑っていろ!笑顔は、全てを癒してくれる。どんな時も自分が笑っていられるなら、大丈夫だ。これが、俺がおまえ達に送る、最大の防具だ!」
商店街に…買い物に来ていた奥様方の失笑が連鎖した。
一刻も早く立ち去ろう。
§
「あ、岡崎じゃん」
「春原、おまえ学校さぼって何してたんだよ」
「気にするなって…岡崎は、もしかしてだけどデート?」
「ちげぇよ、子守だ」
春原にしげしげと見つめられる風子はそ知らぬ顔だ。
こっちの会話には興味がないらしい。
「風子、ちょっとこっちこい」
「何ですか。男同士の会話ならさっきので懲り懲りです」
「おまえに最終試験を課そうと思ってな」
「最終試験!?」
目を輝かす風子。
春原は何が始まるのかと不思議そうな間抜け面をしている。
被害者に相応しい。
「あぁ、こいつが侵されている病名を当ててみろ」
「え!?」
驚いたのは春原。
「僕、病気だったの?」
「聞いたか、風子。自覚症状はない」
「ねぇ…岡崎。いつもの冗談だよね?」
「聞いたか、風子。言葉の認識もあやふやだ。脳関係だ、これはヒントになるな」
「え?え?…本当に!?ぼ、僕って脳の病気になんすか!?」
「見てるか、風子。挙動不審の上、動きが気持ち悪い」
焦って混乱しまくりの春原をじろじろと観察する風子。
「わかりましたっ。風子には簡単すぎる問題でした」
「え、え?僕の病名わかったの?」
「らしいぞ、さぁ、風子言ってやれ」
「この人は…『馬鹿』です!」
「………。ちょっと冗談にしてはつまらないよねぇ…いきなり人のことを馬鹿呼ばわりは。なぁ岡崎」
誇らしげに言い放った風子に明らかにちょっとピクピクと来ている春原。
だが、そんなものは当然無視だ。
「ふぅ…風子。もう、おまえには何も教えることは無い」
「では…」
「ああ、正解だ。そいつは正真正銘の馬鹿。しかも、あと二歩ぐらいで絶滅品種に数えらるほどの貴重な病原菌に感染している。それにな…風子。この病気は治らない。おまえがどんなに苦労をしてもこいつだけは治してやれないんだ」
「かわいそうですっ。でも、風子、この人ならあっさり見捨てられそうです。だから治せなくてもいいです」
「あんたら2人、最悪ですね」
「いや、おまえの病状に比べてそれ以下のものなんてないだろ」
「岡崎さん、馬鹿は伝染しないんですか?」
「いや、する。だから、さっさと消えてくれ」
「なんか、扱いが酷すぎる気が…」
「風子からもお願いします。馬鹿は一刻も早くここから消えてください」
明らかに年下の子にはっきりと言われたのがこたえたのだろう。
春原は唖然としてから、目の端に涙を浮かべて走り去っていた。
「岡崎のロリコンやろうー!お前の方がよっぽど病気じゃないかーーー!」
あとで殴っておこう。
「岡崎さん、風子はもうこれで十分大人の女性ですか!?」
「うん?そうだな…大人の階段を昇り始めたってところだな」
「そうですか…まだまだ遠いんですね」
「ま、でもおまえならきっと上れるだろ」
「当然ですっ。これからダッシュで駆け上ってしまいます」
「で、一気に老け込むのな」
「ということで大人の風子は帰ります」
「おまえ、最後の聞かなかったことにしたな。というかまだ大人じゃねぇって言ってるだろうが」
「いえ、大人です」
「なんでだよ…」
「一日男の人とデートしました。これはもう立派な大人です」
気がつけばもう夕暮れ。
そんなに経っていたのか…楽しかったからだろうか。
「そうだな、大人かもしれない」
「岡崎さんも風子の大人の魅力にメロメロです」
「おまえ、それ死語な。…んじゃ、来週も土曜日遊ぶか?」
気がつけばそんな言葉を言っていた。
「いやです」
即、却下だった。
「でも…来週まで考えておきます。考えが変わるかもしれません」
「そっか」
「…おかしいです」
「どした」
「なんだか、来週が楽しみになってきました」
「そうか」
「病気かもしれません!一刻も早く帰ります」
「あぁ、そうだな。気をつけて帰れ」
「岡崎さんも!土曜日限定で風邪とか引いたら最低ですっ」
「ああ、わかった気をつける」
嬉しそうに帰っていく、風子。
ああ、またその表情が見たいと思ってしまうのは…
俺も、病気なんだろうか……?
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