おわりのはじまり


 

 

はっきりとそれが夢なのだ、と理解できた。

私の場合、こういうことは珍しい。どっちかと言うと夢は夢で楽しんでしまって、現実と違うところを探そうなんて思わないのだ。

だから、寝起きは世界が曖昧だし、夢が楽しいから寝るのは楽しい。

お母さんに言っても、ただの言い訳ね、とやんわりと言い返されるだろうけど……。

でも、とにかく、私は今夢の中だった。

まず、気付いたのは自分の姿。丸みのあるちょっとコンプレックスだった顔立ちはちょっぴりだけど細めになっている。よく見ればうっすらとだけど化粧もしているみたいだった。髪型も髪の毛自体の長さに変わらないけど、後ろで結わえられて少しだけ動きやすく、そして何となくだけど大人びたものになっている。体も……その所々が…ある程度だけど成長していた。それはやっぱり、ちょっぴり嬉しかったりする。

場所は…見慣れた自分の部屋。見渡せば大量の目覚まし時計があり、一際目立つお気に入りの緑色の人形もベッドの上に健在だ。……ケロピー、ちょっと毛羽立ったかな?

いつもハンガーに掛けてあるはずの制服が見当たらない以外は今とそう変わらない私の部屋。そこで、私は鏡の前で自分を観察している。

不思議なもので、意識は私のものなのに行動の制御はほとんど私には出来ないみたいだった。自分の姿を入念にチェックしてから、クローゼットから何着か服を取り出し選び始める。特別なことなんかじゃなかった。ただのお出かけ前の洋服選び。

見たことも無い、明らかに私の趣味ではない服の中から、私は結局妥協したかのように一着のスーツを選んで着る。

そして、着た事も無い服を手馴れた様子で着ると、振り返って目覚しい時計の一つを見て、慌てた。約束の六時までもう時間がないのだ。

スーツにしたことを今更後悔したけれどちょっと考えて……少し待たせるのも悪くないかな、と思い直した。だから、多少は急ぐものの、鍛えてきた足をつかうことはなかった。……いつ鍛えたんだっけ?

 

見慣れた町並みを少しだけ早歩きで、駅に向かって歩く。

やがて見えた、夕方の駅前の広場。あまりいい思い出の無い場所。だけど、大切な場所。

駅の入り口からは沢山の人々が吐き出されて、休日の終わりの駅前は賑わっていた。レジャー帰りの家族連れ、はしゃぐ子供たち、困り顔でも笑顔のお母さん、疲れた様子でも満ち足りているお父さん。幸せな光景。部活帰りの高校生達が大きな鞄を抱えて笑いながら歩いてくる。楽しいことだけの時間。

そんな中でも休日出勤というものがあるらしく、スーツ姿の人もちらほらと見かける。内心ご苦労様と思いつつも自分も一応スーツ姿だったことを思い出して、ちょっと面白かった。そして、どうやら私は目的の人物を見つけたみたいだった。

ベンチに座ったその人のすぐ傍にある時計台を見て、10分の遅刻だと確認してから何故か満足気に頷いてその人に近づいていった。

でも、途中でふと顔を上げた彼に気付かれてしまう。

彼は怒ったような、安心したような、複雑な顔を一瞬だけどしてから、それでも笑顔になり手をあげる。

―――そして

「――――!」

知らない人が私の名前を笑顔で呼んでいた。

嫌な――夢。

 

 

 

§

 

 

 

「……き!ちょっと、なゆき!」

「う……うぅん?」

まだぼやける視界。その中で、私は友人の顔を確認する。

「やっと、起きた……いつまでも寝続けるんじゃないかと思った。もう放課後だからね?」

「え?わ。…私、また寝ちゃってたんだ……ごめんね」

顔を上げればそこは自分の部屋なんかじゃなくて、見慣れた教室だった。でも、目の前の綾子以外のクラスメイトの声は既になく、教室はオレンジ色に染まり始めている。

「謝ることはないんだけどね。こっちにとっては好都合だったんだけど…」

「こうつごう?どうして?」

「え、いや何でも無い、こっちの話。あはは」

「…?」

「で、それで。名雪が寝てたHRなんだけど…」

「うん…わたし、怒られても起きなかったみたいだね…うぅ、恥ずかしいよ」

「違うって、名雪寝てたのばれてないって」

「え?あ、そうなんだー。よかったよ」

わたしが嬉しそうに笑うと、綾子は呆れたようにため息をつく。でもすぐに、「ま、いっか」と言った感じの笑顔になる。

ちょっとバカにされた気分。

「でね、進路調査の紙、名雪はもう出した?」

ちょっと膨れた私に気付くことなく、鞄から取り出した一昨日配られたプリントをひらひらさせながら綾子は聞いてきた。

「うん。出したよー」

「そっか…私まだなんだよね。ちょっと相談乗ってくれない?」

「うん!わたしで良ければ構わないよ」

「…やっぱり名雪は近所の学校に行くの?」

立っていた綾子は私の前の席に座りなおして話す。

「うん、わたし家から近いところがいいから。隣町とかだと朝早くて大変そうだし…」

言った途端沈み気味だった綾子は嬉しそうに笑った。

「あははっ、そうねー、名雪は朝弱いもんね」

「うー、酷いよ。そんなに笑わないでよー」

ぽかぽかと抗議する私をあしらいながら綾子はまたため息をつく。

「…そっか。私にもそういう理由が有ればいいんだけどね」

「相談ってそういうこと?」

「うん、まぁ、そうね。私には行きたい学校ってのが見当たらないのよ。進学する気が無いわけじゃないの。でも、何か背中を後押ししてくれるものがないのよ」

「……」

私は黙り込むしかなかった。

「や、やだ!そこまで深刻にならなくていいわよ」

「うん……」

違う。違うんだよ。私にだって目的なんかない。後押ししてくれるものなんか無い。

きっと私はみんなが進学するから進学するだけ。そこに理由なんかない。私の、私のしたいと思うこと…願いは雪の中に埋まれたまま。

「でも、多分名雪とは同じ学校には行けないな」

綾子は何かを諦めるようにそう呟いた。

「え?そうなの?」

「うわっ、ちょっとむかつくわね、そのリアクション」

「どうして怒るんだよー」

「だって、あんたの行こうとしてる学校意外と進学校だから。私にはちょっと手が届かなかないかな」

「そうだったんだ…」

「そうだったんだって、まさかあんた…調べもしないで決めてたの?」

こくり、と頷くとまた呆れられた。

「ま、名雪らしいわ」

と、綾子が言ったところで教室の外から声がかかった。

「あのー、まだでしょうかねぇ?」

教室の後ろ側のドアから男子が2人顔をだす。一人は親しげにもう一人は不安げに。

「あ!そうだった。名雪、明日空いてるわよね?」

男子の顔を見るなり、思い出したらしく綾子は唐突にそう言ってきた。すっかり忘れていたみたいだ。

「あ、うん…空いてるけど?」

「じゃ、決まり。遊園地行こう」

「へ?」

「だーかーら、デートよ」

唐突の連続だった。

「でぇと?誰と誰が?……ごめん、私、普通の女の子なんだよ」

一瞬変な顔をした綾子におでこを指で突かれた。

「私とじゃない!はい、秋原。おいでっ」

不安げにしていた方の男子がもう一人の男子に背中を押されて教室に入って、そのままこっちまで来る。

「んとね、名雪は秋原のこと知ってるわよね?」

綾子の傍に立たされた男の子に視線を促される。

「あ、うん。隣のクラスの秋原君。二年のときの三年生送迎会の委員会でいっしょだったよ」

ね、と秋原君に。少し驚いたみたいだったけど頷いてくれた。

「よし、んじゃ顔見知りなら問題ないわよね。ほら、秋原も黙ってないの」

「え?あぁ…えと、水瀬、突然でごめんな?」

肘で小突かれながらも話す秋原君は不安そうではあったけどオドオドしたという感じではなく丁寧に話す。委員会の時も良く話したのを覚えている。軽さと真面目さをいいバランスでもった性格の人だなぁ、と思ってた。

「気にしなくていいよ。で、どういうことなのかな?」

「あー、もし水瀬が嫌じゃなければ俺と…その、一緒に遊びに行って欲しいということなんだけど…ダメかな?」

わかった。それで綾子が間を取り持つことを頼まれた訳なんだ。…綾子何にもやってない気もするけどね。

「で、どうなのよ、名雪」

その綾子が言う。だけど…どうなのよと聞かれても…。

「いいや。水瀬、ごめんな。ムリ言って」

黙る私の態度をNOと受け取ったらしく秋原君は踵を返す。

「ちょっと!諦めんの、早すぎ」

その手を綾子が掴んで引き止める。

「行きたくない相手をムリに行かせるのは俺は嫌だし。そんなの楽しくないじゃないか」

「それはそうかもしれないけど…」

「三科が手伝ってくれたのはありがたいけど…それに、水瀬好きな人いるみたいだし」

(え?)

黙って聞いてた私にちらっと視線をむけた後、秋原君はそう言った。

「うそ?…名雪。そういう人いたの?だったらごめん、こういうことしちゃって」

綾子が驚いて、そして声を小さくして謝る。

それに対して私は、

「いないよ……」

「え?」

どっちの声が私の呟きに反応したのかはわからなかった。ただ、自分でも気付かないうちに発していた発言に続いて私は肯定の返事を繋げた。

「いいよ、秋原君。土曜日……私でよければ行くよ」

そして顔を上げて、努めて明るく言っていた。

同情、友情、興味……。

……違う。駆け巡る様々な言い訳を全て否定した。

ただ単に、反発しただけ。私には好きな人がいるって言われてむきになっただけだ。

ただ子供のように、泣きじゃくる子供のように。認めたくなかったんだよ……。ただ、辛いことは忘れたくて。

綾子は喜んでいた。

秋原君は意外そうな顔をしたけれど、ありがとう、と言ってくれた。

私の言葉が生んだ幸せそうな笑顔。

見ているのが辛かった。

 

 

お母さんは嬉しそうに台所から顔を覗かせて

「それで、名雪は明日デートなのね?」

なんだかいつもの優しい笑顔よりも数段輝いている気がするよ…。

「もう、おかーさん。違うって言ってるでしょ」

食器を並べながら答える。少ない、すぐに並び終えてしまう二人分の食器を丁寧に。

私の大事な仕事の一つだった。その間に交わされる会話もずっと前から続けてきた親子の繋がり。

「だって、男の子と2人だけで遊園地でしょう?」

煮込みが終わったのか鍋の火を落としてお皿に注ぐ。

「だから、遊びに行くだけだよ」

「そうなの。さぁ、出来たわ。食べましょう?」

「はーい」

エプロンを外して席に着くお母さん。その前に座る。

それから2人で手を合わせて、

「「いただきます」」

にこっと2人で笑ってから食べ始める。いつもの習慣だった。

「それで、明日はお弁当を作るのね?」

「うん…一応、女の子はそういうことした方がいいと思うから」

「そうね。相手の子はきっと喜んでくれるわね。じゃあ、食べ終わったら一緒に仕込みしましょう」

「うん、ありがと。おかーさん」

「どういたしまして」

いつも笑顔で私の話に答えてくれるお母さん。そしてお母さんの作る料理は凄く美味しい。だから手伝ってもらったらきっと誰でも美味しいと言ってくれるはず。ちょっとズルだけどそれくらいなら良いかな、とも思う。

話しながらシチューを口に運び、明日のことを考えて、ふと食卓を見る。

「お母さん、今日は何だかお料理多くない?」

「そうかしら?きっと、名雪の話を聞いてたら嬉しくなっちゃって作りすぎちゃったのね」

「もう、お母さん!冷やかすのはやめてってばー」

「ふふふ、ごめんなさいね。でも、名雪が男の子の話するなんてちょっと意外だったから」

「そうかなー」

と、言ってみるけど、自覚はあった。私はほとんど男の子の話をしない。こうやってお母さんに言うのは…何年ぶりかもわからないくらい。

「でも、ちょっと多かったみたいね。そうね……男の子がもう一人ぐらいいたら丁度良いかもしれないわね」

「そうだねー…っておかーさん!もうー!」

優しい悪戯な笑顔で言うお母さんと顔を真っ赤にして怒る私。仲良しの風景のはずなのに。なんだか気分がもやもやしていた。

結局シチューは残ってしまって冷凍保存となった。お母さんは「ご夕飯に招待しても構わないからね」と、まだ言っていた。

台所に立って、お母さんと明日の準備を始める。

「お母さん、そんなに凝ったのじゃなくて良いんだからね」

「そうね、気合入れてきましたみたいなお弁当じゃ格好つかないものね」

手を頬に当てていつものポーズで答えるお母さん。

もうお母さんの頭の中は明日の私たちの姿で一杯なのかもしれない。

「そうじゃなくて…うーん、決めたよ。私の部活の時のお弁当を二つ作るみたいでお願い」

「…わかった。じゃあ、から揚げと玉子焼きと…それからほうれん草の炒め物、あとは煮物がいいかしらね?えーとそれから……」

言ってる傍から明らかに一人前では食べきれない品数を詰め込もうとしているお母さんを笑顔で眺めながら…私は明日2人でお弁当を食べている姿を想像しようとして、出来なかった。そこにいるのは秋原君という人ではないのだ。だから、想像できなかった。

 

 

 

§

 

 

 

土曜の遊園地は沢山の人で賑わっていた。

様々な音楽。はしゃぐ声。作られた楽園に夢だけを与えられようと……ちょっと考えが暗くなっていた自分が嫌になった。

(うん、楽しめばいいんだよ)

決めてしまえば楽なことだった。今日は違う世界に来たのだ。私もいっしょに楽園で夢を求めればいいだけ。

そして意気込んでゲートを出て、早速立ち止まった。

「うーん、とりあえず入園したはいいけど…どうする?水瀬」

「え、どうするって聞かれても……私、遊園地とかあんまり来ないからわからないよ」

「そっか、まぁ女の子に考えさせるのも甲斐性なしだね。じゃ、水瀬」

「うん?」

「ジェットコースターとか平気な方?」

覗き込まれるようにして聞かれる。ちょっとドキドキする。さっきから見慣れない格好で会ってるせいか違和感がある。でも秋原君は女の子と出かけるのに慣れてるのかそういう風には見えない。

「うん、多分平気だよ。乗ったことはあるから」

「よし、じゃあ、混む前に乗っちゃおう」

そう言って私の手を引いた。

「あ……」

ぱっと放す。

「ごめん、やっぱ嫌だった?」

「ううん、大丈夫。ちょっとびっくりしただけだよ。行こう?」

むきになっている。絶対にむきになっている。分かっていながらも私は笑顔で秋原君の手を引いて歩き始めた。でも、これでいいんだよ。

「水瀬、ジェットコースター、こっちな」

…私は逆方向に引かれていった。

 

 

 

「大丈夫?はい、こっちが水瀬の」

両手に持ったソフトクリームのうち右手の方を差し出しながら、心配そうに秋原君は聞いてくる。まだ、ちょっと残るハイスピードの感覚に酔いながら差し出されたものを受け取る。

「ダメならダメって言ってくれても良かったのに……」

「うん……ごめんね。あ!うわぁ、いちごだよー」

「はは、良かった。ちょっとは元気でたみたいだ」

受け取ったソフトクリームの種類に目を輝かせる私に、秋原君は隣に座りながら笑って言った。

2人で穏やかに、特に会話をするわけでもなくソフトクリームを食べ続ける。

しばらくして秋原君から会話を始めた。

「いちご……好きなんだよな?」

「うん!大好きだよー。……あれ、私、秋原君に言ったことあったっけ?」

「三科から聞いたんだ」

「あ、そうなんだ。……って私何気なく受け取っちゃってるよ!しかも食べ終わっちゃった…あの、その……」

「いいよ、奢りだよ。そのくらい」

最後の一口のコーンを口に放り込んで言う。

慌てる私をなだめる様な、そんな言い方だった。

「あ、ありがとう。えと…そうだ!」

お礼と思って思いついたのは鞄の中身だった。

「お弁当作ってみたんだけど…食べる?」

「……」

「秋原君?あ……ごめん。そうだよね、私が作ったのじゃ不安だよね」

「ちょっと待って、水瀬。違うよ」

取り出したお弁当の包みを再び仕舞おうとする腕を秋原君は掴んで制止した。

「驚いただけだよ。水瀬ムリして付き合ってくれるんだろうな、と思っていたからそういうの予想してなかっただけで……」

と、言ってから、しまった、と口を塞いだ。

今度は私が落ち着かせる番になった。

「ムリはしてないよ。お弁当作るのも誘ってもらったお礼として普通かなぁと思ってしただけだから……その、気にすることないよ」

「そっか」

彼は何かを振り払うようにして

「んじゃ、貰うよ。ここで食べる?それとも、テーブルがある場所探す?」

「ここでいいよ。お弁当箱二つだから膝に乗せて食べれるからここで十分だよ。はい、じゃ、こっちの大きいのが秋原君の」

包みをほどいてお弁当箱と箸、お絞りをセットにして渡す。

「ありがと。うお……なんか重い」

「あははは……ごめんね。お母さんが張り切りすぎちゃって」

「お母さん?水瀬が作ったんじゃないの……?」

「あ、秋原君今ちょっとがっかりしてくれたけど…ほっとしてたよ。失礼だよ」

「いや!違うよ。別に水瀬が料理出来なさそうなイメージだ、とかそういうのじゃなくて…」

「ふふふ、大丈夫だよ。お母さんと私の2人で作ったんだけど、お母さんの指示で私が調理したから…一応、わたしのお手製だよ」

慌てる彼にそう言うと、ちょっとほっぺたを赤くした。結局お弁当はお母さんは一品も作ってはくれなかったのだ。ずるい作戦は昨日の段階で失敗だった。

「じゃ、ありがたく頂きます」

「どうぞ、召し上がれ」

弁当のふたを開けて、予想通りに種類の多さに驚いてから、まず彼は玉子焼きを口に入れた。

「…うまい。水瀬って料理上手なんだな」

何回か、噛んでからこぼす様に感想を言ってくれた。

「そんなことないよー。料理は材料とタイミングがほとんどだから、タイミングを毎日料理作ってる人に言われた通りにすれば簡単だよ」

「それでも、これは凄いよ。うん、うまいうまい」

私の照れ隠しも構うことなくどんどんと食べてくれる秋原君。

「よし、水瀬」

「うん?」

「これ食べたら、もっと色んな乗り物に乗ろう。今度は…大人しいのでいいからさ」

「うん!楽しみだよ」

私は彼の言葉に素直に答えられた。

 

 

 

「結構乗ったな…というかなんで水瀬はなんというか、恥ずかしい乗り物に乗りたがる?」

「へ?私、そんなの乗りたがってないよ?」

見回せばもう夕暮れという時刻。園内の色が変わりつつある。

「メリーゴーランドの三回目はしんどかったよ」

「メリーゴーランド?可愛くて楽しかったよ?」

私の素直な感想を聞いて苦笑する秋原君。何か悪いことをしたっけ?

「いや、いいや。水瀬が楽しかったならそれで」

「うん、楽しかったよ」

笑顔での会話。そこには何も他に入り込む余地なんてなかった。楽しい、それだけで良かった。

「そっか…。んー、もうすぐ閉園だなぁ」

言われて、時計を確認する。閉園まであと三十分を切っていた。

「そろそろ帰る?」

と、聞いてみる。

すると、秋原君は少しだけ迷った後に

「いや、水瀬のメリーゴーランドに付き合ったし…今度は俺に付き合ってくれない?」

口調は軽いけど、雰囲気の重い頼みごと。

でも、私は

「うん、いいよ」

軽く答えていた。きっとそれも楽しいんだろう。

そして、手を引かれて大きな観覧車へと向かった。

 

「わわっ、こんなに高く!お、落ちないよね?大丈夫だよね?」

「はは、大丈夫だよ」

まだ、半分も上がりきってない状態のゴンドラ内で騒ぐ私。

離れていく地上。近くの風景が遠くなり、見えなかった風景が遠くから現れる。海側から夕日が全てを綺麗に染め上げていた。差し込む光でゴンドラの中にも2人分の影が映る。

「心配だったら水瀬、ちょっと窓を開けてみなよ」

「うん?こう?」

言われたとおりに窓をスライドさせる。僅かにひんやりとした新鮮な空気が流れ込んでくる。ちょっと、心地良い。もちろん、窓には針金で柵が作られていて外に顔を出したり出来ない。出来ないけど…

「うわぁ!ぎ、ギシギシいってるよ!なんだか嫌な音がするよ!」

ゴンドラの支柱部分とかみ合っている場所が回転によってたてる音に更に慌てる私。

「はははっ」

それを見て秋原君は楽しそうに笑った。

「ははは……えっと、あの…な、名雪?」

「うん?――あ」

窓の外の恐怖に捕らわれていた私が異変に気づいて振り向く。

その直後、

「ごめん!……ちょっと調子乗りすぎた」

彼は顔を伏せて謝っていた。

「秋原君……?」

「水瀬がそんなに嫌がるとは思わなかったから…その、ごめん」

私が手で顔を上げてと、促しても顔を上げてくれない。どうしてそんなに必死に謝っているのかが良く分からなかった。嫌がるっていったいどういうこと?

「えと、秋原君?確かに、名前で呼ばれるのはちょっと…だけど、私、そんなに怒ってないよ?」

理解は出来ていなかったけど、なるべく彼の誠意に答えられるように話しかける。

「いや、俺が悪い。まさか水瀬があんな表情するとは思わなかったし…」

「私、が?私…どんな顔してたかな?……教えて?」

その言葉に顔をようやく上げてくれる。私の表情を恐る恐る確認して、それでちょっと安心したみたいで普通に話してくれた。

「すっごく、怒ってなかったか?睨まれたというか…無表情に近い目だったから、俺、失敗したんだと思って、その…」

間違いなくしていたんだと思う。無意識の一瞬をちょうど秋原君に見せてしまったんだろう。それでも、その表情で楽しい時間は終わりを告げてしまった。なんだか、とても悪いことをした気分になる。だから…私は秋原君に加担することにした。

「ごめんね」

「いや…」

「で、話は何だったのかな?気になるよ」

「え?」

「呼びかけた後、お話があったんじゃないの?」

私が首を傾げると、少し間を空けてから、秋原君は口を開いた。

「もう、望みは無いからな言わせてもらうだけな…」

何を言われるのは理解している。男の子が女の子を誘って、最後に2人きりの時間、空間を作った。どんなに私がこういうことに疎くても、簡単に想像できること。

彼は今、私の為に、頑張っているのだ…。

「俺は、水瀬のことが前から好きだった。付き合って欲しい…と思ってた。三送会で同じ役員になったときは本当に嬉しかったんだ、でも…あの時には言えなかった。それが情けなくてさ、グチグチ言ってたら真田や三科が背中を押してくれてこういうチャンス貰えた」

「うん」

まだ終わってない。彼の呼吸の合間に、私は静かに頷いた。

「今日だって緊張しまくりだったんだよ」

「え?」

意外な言葉に反応してしまった。

「意外、って顔だね」

「秋原君って表情読み取るの得意なんだね…なんか、女の子慣れしてるから緊張なんて全然してないと思ってたよ」

と、逆に意外そうな顔をされる。

「俺が?女の子慣れ?はぁ…凄いんだな、三科って」

「え、綾子?」

「そう。俺、女の子と2人きりで出かけるのは今日が初めて。今日の行動パターンほとんど三科にレクチャーされたまんまだよ。昨日も水瀬と別れた帰り道は復習させられながら帰ったんだ。だから…結局、今日の俺は本当の俺じゃないと思うよ。三送会の時もそう、知ってる奴がたまたま居なかったからいつもより明るく、マジメに振舞ってたと思う」

「えと…全部、私の為なのかな?」

何となく気恥ずかしい中そう呟くと、

「違うよ」

あっさり否定された。なんとなくショックだよ…。

「俺は、結局自分の為だけに動いてたんだ。で、最後には自爆して、周りの援護も無駄にして、水瀬を怒らせてしまった。自分では何も動けないくせに、周りは散々利用して…これだもんな」

秋原君は頭を抱えるようにしてため息を吐く。

それは……誰のことだろうか?

自分では動けないくせに、周りの好意を利用して、今、ここに居るのは誰だっただろうか?

都合よく、忘れようとしていたのは誰だったか。

ついてはならない嘘を、自分についてしまおうとしていたのは……いったい誰だったのか。

沈む瞬間の夕日が赤くて、一瞬木の実で作られた赤い眼を思い出す。

崩れた体に埋め込まれた赤い赤い実。

「秋原君」

「うん?」

呼びかけて向き直った彼の目はちょっと潤んでいたようにも見えた。

「秋原君はいい人だと思うよ」

「え?…期待はしないほうが良いよね?」

「うん、それは…ごめんなさい。でもね」

一呼吸おいてから続ける。

「慰めにならないかもしれないけど、もし、私に好きな人がいなかったら……秋原君なら良いかもって思ったかもしれない。今日一日付き合ってくれた秋原君も、今、ちょっと落ち込んでるけど本音で話してくれる秋原君も、私はどっちも優しい秋原君だと思う」

その言葉を聞いて、一度固まってから

「本当に慰めになってないな…ってやっぱり、水瀬好きな人居たんじゃないかっ」

ちょっと怒りっぽく言う彼に、私は落ち着いて答えた。

夕日が沈んだ。

「居たんじゃないんだよ……思い出しただけ」

 

 

 

§

 

 

 

「なーゆーきー!」

「へ?」

月曜日。朝、登校すると綾子が下駄箱で襲い掛かってきた。

「ひゃあ!な、ちょっ、あ……ちょっと、何処触って!」

「うっさい!問答無用っ!あんたねぇ…ちょっとはお膳立てした側のことも考えなさいよ」

後ろから羽交い絞めにされる格好で綾子に耳元で静かに怒鳴られる。

「あんとき、あんた『いない』って、言ったじゃない」

「うん、あの時はいなかったんだよ」

さらっと答える私に一瞬とまどって力を緩めてくれる。

ほっと安堵したらさっきの倍の力で締め上げられた。

「うー、痛いよー」

「いいのよあんたは、このぐらいで。最近胸のクッションがムダに増大中だから」

「わっ、どうしてそういう恥ずかしいこと言うんだよ」

「ともかく!誰なのよっ、そいつは」

暴れるのをやめて、答える。

呟くように。

「……その人はね、もう会えないかもしれないんだよ。二度とこの街には来てくれないかもしれない……でもね、私は待ってるんだよ、いつまでも」

その答えは、綾子だけに言ったわけじゃないような気がする。

まるで、自分と契約するような…。

体が解放される。

「あんた…なんか乙女チックな恋してんのね」

「うん?私、女の子だよ?」

そういう意味じゃないんだけどね、と綾子は肩を叩いてから教室に戻っていった。

その背中を見送ってから廊下の窓から空を見上げる。

そう、私はこの街でずっと待っていることにしたんだ。


空に浮かぶ、今は春のまだ不安定な雲。

それが、夏になって地平線から立ち上る高い高い入道雲になって、

秋になったら様々な形を見せながら流れていって、

そして……冬になってこの街を厚く覆い隠して、白い白い雪を降らしていく。

それが何度も、何度も続いても。

私はこの街にいて、待ち続ける。

何年後になるかはわからない。もしかしたら、何十年後なのかもしれない。

来ないのかもしれない。

そのとき、私がどういう気持ちなのかもわからない。

ずっと好きでいられるかもわからない。迷ってしまうかもしれない。

でも、もし、その奇跡が起こるとするならば……

いつか夢で見たように遅刻をしていって、ううん、待たされた分おもいっきり遅刻をしていって、

そして、この私の街を、

久しぶりに訪れた彼にこう言ってやるのだ。

男の子では彼だけに許した――

 

わたしの名前、まだ覚えてる?

 

わたしの名前を言わせてみせるんだから。

 

 

 



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